kaz_aprtment_1

ヒャクブンはイッケンにシカズ (1)

2015年5月14日 - ヒャクブンはイッケンにシカズ / 連載

 テキスト・写真  鈴木 一成

◎ 自分のこと

こんにちは。鈴木一成です。
若い頃には色々な希望とか野望を抱いてた気もしますけど、気づいたら現代アートを扱う Gallery OUT of PLACE でディレクターをしています。
おかげさまで最近ではこういうところで書いたり、人様の前で話したり、何かの審査をしたりする機会も増え、「いや、そもそも自分は何者なんだ?」と感じることも多いし、おそらく読者の方は尚更「お前誰よ?」状態だと思いますので、まずは自己回想随筆的に何か書いてみようと…

僕が思春期を迎えたのはバブル全盛期でカタカナ職業がトレンディーだった頃だ、ミュージシャン、アートディレクター、コピーライター、CMプランナー、イラストレーター、モデル、ハウスマヌカン、ダンサー、DJ、エディター、フリーライター、エステティシャン、スチュワーデス、パイロット、ハスラー、バーテンダー…あと他にあったかな?
まんまとカタカナ職業と当時飛ぶ鳥を落とす勢いで現れた日比野克彦に憧れて「アーティスト」や「グラフィックデザイナー」になるっ。と美大受験を決意したのが中学2年。。。いや、決意ってほどではなかったか。上手くも強くもなかったけど、サッカーとか空手もそれなりに真剣にやっていて、そっちのほうにも希望とか野望があったし。

思い起せば、絵を描くのは嫌いじゃなかったけど、、、むしろ下手だって自覚すらあったよ。
祖父から貰った OLYMPUS PEN F を使って写真を撮り始めたもこの頃だったな。

中学も高校も精神的には然程大きな変化はなかったとおもう。サッカーと空手をやって、友人達と渋谷・原宿へ遊びに行き、コンビニ・ファミレス・ゲーセンでダラダラして。普通の授業よりは美術が好きだったのはよく覚えている。まぁそれも美大に行くって思っていたからかもしれないな。

結局は一浪したが美大には受からず桑沢デザイン研究所へ通うことになった。当時は美大を卒業して晴れてクリエイター(という職業?)になることで社会的なことから自由になりたいと願っていたけど(もちろんそんな訳無いんだけども)、デザインっていうのは社会に迎合しイメージを率先することだって、桑沢に入学して1ヶ月後には気づいてしまった。自由の象徴に思えた美術大学とは正反対の職業訓練所的な窮屈さを桑沢は兼ね備えていたけど、そういうことにすら無自覚だったから凄く好き勝手に楽しんだ記憶ばかりだ。

桑沢ではデザインばかりの中に写真の授業があったのが救いだった。写真はとても感覚的にやれたし、そう言うスタイルが楽だった。その時に手にした橋口譲二の写真集『俺たち、どこにもいられない』と藤原新也の『全東洋街道』に感化されて写真家になろうって決意した。そう、この時こそが決意だった。

Joji_HASHIGUCHI
橋口譲二「俺たち、どこにもいられない 
荒れる世界の十代」草思社 1982年発行

毎晩渋谷を徘徊して無軌道な若者達の享楽をフィルムに捉えてまわり、「頭の人ばかり ダメネ 人間は肉でしょ 気持いっぱいあるでしょ」(『全東洋街道』藤原新也)って言葉に触発されて日本じゃないどこかへ行こうと決めた。
フランスに行くことにしたのにはもっと色んな理由があったんだけど。

kuwasawa_007W
学生時代の作品。1994年撮影

桑沢を卒業した年の秋にフランスへ渡った。東京と比べたら驚く程退屈な街だったけど、知らない人が皆知らない言葉を喋るところで生活するのは面白かった。住んでいたアパルトマンも築400年とか当たり前に説明されて、そりゃ何から何まで絶対日本人とは違うよ!って妙に納得したりして、その頃から文化ってものを考えるようになった。

パリにいた頃に出会った面々の多くとは今でも繋がっている。今のギャラリーのオーナーと出会ったのもこの時だ。
当時のフランスには多くの日本人が写真をやりに来ていた。トレンドはロンドンに移りつつあったけど、モノクロームでポエティックな写真を信仰する人達も多かった。
異国で暗室に籠もり極端に濃く黒いプリントを焼いている時に感じる孤独さえ、自分の物語の一部になるんだって浮かれていたな。

selfportrait_1
Paris時代のセルフポートレイト。
後に現地に住む日本人のポートレイトで作品を作るが未発表のままだ。
1996年撮影

 

カメラと沢山のフィルムと少ない荷物を持って欧州の沢山の国を旅した。行く先々で出会った人と一緒にご飯を食べたり、一晩中語り合ったり。騙されたり、喧嘩したり。多くの瞬間をフィルムに収めた。

GHOSTLY DIMENSION001s
フランスに住んでいる間、
欧州諸国を中心におよそ25カ国を旅した時の作品の一枚。
1997撮影

 

1998年にフランスW杯を現地で観戦した、自国の快進撃に日に日にヒートアップして行く街の様子に火照らされながら「嗚呼この為にフランスに来たんだ」とよくわからない決着をつけて日本に帰国することにした。

帰国してからはデザイン事務所を手伝っていた。そこで出会うフォトグラファーに自分の写真を観てもらいながら、自分もフォトグラファーで稼げるんじゃないかって幻想がうまれた。とある編集部にモノクロの暗いプリントばかりを見せに行ったら、その場で日比野克彦のポートレイトを撮影する仕事を貰った。めちゃくちゃラッキーな人生だ。
撮影の仕事は徐々に増えて行った。自分の才能を過信して突き進んだ。
写真って半分は機械がやるから、センスがだけあればなんとかなる。っていう妄想がまずかったな。
そもそも下積みも無かったのに、努力も無かった、如何に日々享楽的に生きて行くかが全てだった。実際本当に楽しんでいた。
でも仕事をしていくうちにハタと自分のやっている仕事っていうのは社会に迎合しイメージを率先することだって気づいてしまった。(俺全然成長してないじゃん!)

自分の努力の無さも相まって順調に仕事は減り続け、自由になりたいっていう厨二病が治らぬまま30代の半ばを迎えた頃にやった個展を今のオーナーが観にきた。
現代アート不毛の地・奈良で OUT of PLACE っていうギャラリーをやっているその情熱に絆されて、気づいたら東京の支店の運営に関わる事になった。そんなに強く現代アートを意識してきた事はなかったけど、自分が求めている事の多くがそこに内包されているように感じている。

若い頃に持っていた希望と野望はすっかり擦り減ってしまったけど、代わりに今はギャラリーに集まる多くの人々の希望や願いを溜め込んでいる。
アートっていうのはどんなことも受け入れる大きな器だと思っている。
誰もが感じて、気づくことが出来るものだとも思っている。
だけど、気づいて拾い上げて磨き上げて「ここ」にみせてあげられる物に出来るのがアーティスト(作家)なんだと思う。

今の現場で多くのアーティストに関われてるので、やはり僕はラッキーだ。

 

 


◎ 鈴木 一成 /SUZUKI Kazushige
1972年 東京生まれ。桑沢デザイン研究所写真研究科卒。
3年間の渡仏生活を経てフォトグラファーをしながら個展やグループ展で作品を発表。
巡り巡って現代アートの Gallery OUT of PLACE TOKIO にてディレクター業、桑沢で非常勤講師。ゆっくり制作、たまに作品展示。
http://kazu72shige.tumblr.com/

suzuki_2015_ss
プロフィール写真
©Jun MIYASHITA

 

 

LINEで送る

› tags: ヒャクブンはイッケンにシカズ / 鈴木一成 /