蘭読蘭文_bannr2

蘭読蘭文(4)

2015年7月29日 - 蘭読蘭文 / 連載

文 / 絵  大石蘭

第4回 話題の又吉直樹『火花』を読みました
( 
『 火花 』又吉直樹  – 第153回 芥川賞作 –

 


 

ベストセラーを読むときは、「いや別に好きなわけじゃないけど売れてるからさ」と前置きしなければならない、そして何かひとつでも難癖をつけてから感想を言わなければならない……

そんな風潮から、私はできるだけ、距離をとっていたい。

だから、又吉直樹『火花』を読む前の気持ちと、読んでいるときの感覚、読み終わって考えたことと、できるだけ正直に向き合ってみようと思う。

これは書評というより、読書感想文というより、読書した体験そのものに対する実録みたいなものだ。

ピース又吉が書いた芸人モノの小説が売れている、という現象。それだけで、読む前に自然に抱いてしまうイメージがある。

テンション低めに笑えて、ちょっと自虐的な文系男子が出てきて、全体にほんのり哀愁が漂う感じ。そんな雰囲気じゃないかなと、帯を見た時点で感じる。

そして、芸人を主人公にした小説だという。芸人の又吉(呼び捨て?)が芸人の日常や心情を描くのなら、どこか私小説的な要素もあるんだろう。主人公のルックスを想像すると、どうしても長髪で細身の青年が頭に浮かぶ。

芸人を描くなら、彼らのネタの内容や、お笑いを考えたり披露する様子も描写することになるはず。でも、「お笑いのツボ」というものは、小説で伝わるんだろうか。「間」や口調がものを言うシュールな笑いは、言葉にして説明してしまうと、たいてい萎えて面白く感じなくなるものだ。お笑いをテーマにした小説を書くのは、説明過多でスベって残念な感じに陥るかどうかのスレスレの試みだと思う。だから読み始めるのに、ちょっと二の足を踏んでしまうところもある。

読みはじめてみると、小説全体の雰囲気は、ほぼ予想通りだった。丁寧に情景描写する淡々とした文体で、若手芸人の主人公の視点から物語は語られていく。売れない芸人の葛藤が随所ににじみ出ているけれど、主人公はまっすぐで、登場人物たちもあたたかく、地味な話だけれど悲劇的なムードはない。

冒頭2ページめから早速漫才の掛け合いが展開され、読み手にも、その会話のリズムについていこうという姿勢にさせる。私はこれまで小説で漫才のリズムを体験したことがなかったから、ついていくのに少しだけ抵抗がある気がした。でも、主人公のコンビ「スパークス」と同じ舞台に立つ先輩コンビ「あほんだら」の漫才シーンが描かれたときにはもう、そのリズムに臨場感をもって乗ることができた。感情は最低限しか入れず、観察するような距離感で記述される会話。こうして一度乗ってしまうと、漫才のネタや日常会話のふしぶしに登場するボケとツッコミを、すんなりと受け容れることができて、読みながらひとりで笑いこそしないものの、主人公たちの「間」や口調にもリアリティを感じはじめる。

この筆致は、「ピース又吉」だから実現できたのだと思う。個人的には、『夜は短し歩けよ乙女』や『有頂天家族』など、森見登美彦の小説を初めて読んだときにもこれに似た笑いのセンスみたいなものを感じた。けれど森見登美彦の小説の笑いはどちらかというと「素の会話がヘンでおかしい」という種のもので、漫才のように「笑わせようと思って笑わせている言葉」を文字で読んで面白く感じさせるというのは、かなりハイレベルだ。

漫才に感情移入させる又吉の筆致がもっとも力を発揮するのは、クライマックスの「スパークス」漫才シーン。唾が飛んでくるようなボケとツッコミの応酬に、徳永と山下の、互いへの思いのたけが重なる。読み手もライブに釘付けになっているかのようで、鳥肌が立つほどだった。

このクライマックスのグルーヴ感が心震わせるからこそ、「スパークス」の二人の人間関係を、もっとみせてほしかったとも思う。

この物語は、主人公・徳永が、先輩芸人・「あほんだら」の神谷さんの独特の人柄に惹かれて弟子入りを申し出るところから始まり、主人公の人生と神谷さんの人生が、絡み合い変化していく過程が描かれている。全体を通して多くを占めているのが、主人公からみた神谷さんの様子だ。一方で、主人公の相方・山下の人物像が、今ひとつ浮かび上がってこなかったように思う。山下はどんな人で、お笑いに対してどんなスタンスで、徳永にとってどんな存在なのか……もっと深くイメージしたい。神谷さんを取り巻く数人の人物も同様だ。

サブキャラの描写が曖昧でも読み進められてしまうのは、会話の妙だと思う。作中の会話にこもる熱だけで、読者を惹き付けるものがある。でも、会話の熱が最高値に達するクライマックスに、人物に対する思い入れもついていけば、なんとなく熱に飲まれている感じではなく、もっと主人公に共感して盛り上がる山場になったのではないだろうか。

randoku_hibana1

 

サブキャラ描写の薄さとともに気になったのは、主人公が神谷さんに序盤で「俺の伝記を書け」と命令されるという伏線めいたエピソードが、小説全体でどう生きてくるかということだ。本もろくに読んだことがなかったにもかかわらず、神谷さんの命令どおり、何年にもわたって記録をつけ続ける徳永。その記録のノートには、いつしか神谷さんに関することだけでなく、徳永自身の生活や恋愛や、「スパークス」に関することもたくさん書いていたという。年月が経って場面が大きく切り替わるごとに、ノートに記録が書き溜められていくさまにも触れられている。でも、徳永がいつどうやってどのように記録を書いているか、その内容に関してはほとんど触れられておらず、忘れたころに伝記の話が出てくる。それがもったいないような気もした。この小説にとって、神谷さんの伝記とは、何なのだろう。もしかしたら、この小説そのものが、徳永による神谷さんの伝記なのだろうか。だとしたら、伝記とはほど遠いような粗も、徳永が手さぐりで神谷さんの人生を残そうとした証なのかもしれない。

そんなふうに、繊細な部分、粗い部分をひっくるめて、芸人の息づかいをリアルに感じる作品だった。ネット上での中傷の羅列を見るシーンでは、主人公が現代の世間の目というものにどう向き合い、何を感じるかが、生々しく伝わってきた。

『火花』を読み終わってからテレビのバラエティ番組など観ていると、このタレントは今こういう気遣いをしているのか、とか、あとで飲みながらこんな話をするんだろうな、とか想像してしまう。

 

100年後の読者は、芥川賞受賞作として文学史に残る、この2010年代の芸人という職業の男の物語を、日本のカルチャーの記録として興味ぶかく読むのだろう。そして、何かを伝えようと必死に生きる若者の、普遍的な葛藤に共感しながら読むのだろう。

現代の芸人が現代の芸人を書く、ということの、他にないリアリティと、未来の読者に残す愉しみを考えれば、「ピース又吉」が芥川賞を取るのも自然なことに思えてくる。

 

 

 

 


◎ 大石  蘭
1990年 福岡生まれ。東京大学教養学部卒・ 同大学院修士過程修了
在学中より雑誌『Spoon.』などでエッセイ、イラストを寄稿し注目を集める。
雑誌・WEBなどでの同世代女子の思想を表現するイラストレーション制作、
文章執筆をしながら活動中。  著書に「妄想娘、東大をめざす」(幻冬舎)
http://oishiran.com/

ranprofile2

LINEで送る

› tags: 又吉直樹 / 大石蘭 / 火花 / 蘭読蘭文 /