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蘭読蘭文(6)

2016年2月19日 - TOPICS / 蘭読蘭文 / 連載

文 / 絵  大石蘭

第6回 1998年の椎名林檎 ( 『1998年の宇多田ヒカル』宇野維正  新潮新書

1998年。椎名林檎がデビューした年。そのとき、私はまだ8歳の小学生だった。
中学2年生以来、東京事変のデビューとともに椎名林檎の音楽を遡って聴きあさりながら、何度となく「あのとき私は何をしていたんだろう」と思った。

「あのとき」、つまり1998年。
福岡という、椎名林檎の出身地に住んでいながら、私は「1998年の椎名林檎」を知らなかった。
毎日のように通っていた天神駅のコンコース。もしかしたら気づかないうちに、椎名林檎が弾き語りをしていた道に通りかかっていたかもしれないというのに。
私は1998年を、あまりにも無意識に通り過ぎていた。

思い起こす限り、椎名林檎に関する最初の記憶は、2003年にアルバム『加爾基 精液 栗ノ花』がリリースされた当時、天神の街のいたるところに椎名林檎のポスターが貼られている光景。
お葬式を思わせる、不穏で退廃的だけれど上品さを感じさせるそのヴィジュアルと、扇情的なタイトルに衝撃を受けた。きっと深入りしたら抜けられなくなる。でも逃れられない。そう察した。
ほどなくして、ラジオから流れてくる東京事変のデビュー・シングル「群青日和」を聴いたとき、私は「あ、これはもう逃げられない」と降参することになる。

それから私は、椎名林檎の過去のCDやライブ映像はもちろん、雑誌のインタビュー記事、ネットに落ちているあらゆる写真やファンサイトの情報、デビュー当時の彼女が発行していたフリーペーパー『RAT』など、田舎の中学生がなせる限りをつくして、椎名林檎の過去の破片を探し集めた。
椎名林檎ファンの多くがそうするように、歌詞に出てくる「ジャニス・イアン」や「ベンジー」も聴いたし、彼女とコラボした比較的マイナーなアーティストの音楽も探した。
椎名林檎のことが知りたかった。
中学生の私に、そうさせるミステリアスさと危なっかしさをもっている女性であり、音楽だったのだ。
もしかしたら、彼女の名曲「シドと白昼夢」風に言えば、私は「椎名林檎を自らと思い込んでいた」とさえ言えるのかもしれない。
それでも、自分が幼い小学生だった時代の情報をかき集めるのには限界があった。

書店で数少ない椎名林檎参考文献を探すうち、椎名林檎のデビュー前のエピソードやプライベートも含めて彼女の音楽を分析したような本を数冊見つけたけれど、どれもゴシップ的な深読みがメインで、やたらカルトっぽさを強調する下世話なものばかりだった。下世話だからこそ読んでみたくなるという野次馬根性も否めないけれど、彼女の魅力の根本に迫るには、あまりにも信憑性がなくてちぐはぐだった。
椎名林檎は自伝を書かない。
椎名林檎に近付くには、彼女の音楽を追い、インタビューに耳を澄ますしかなかった。

「日本の音楽ジャーナリズムは、長いことアーティスト自身による言葉、いわゆるオーラル・ヒストリーにあまりにも頼りすぎてきました。
(中略)
でも、「ミュージシャンの肉声」が唯一絶対の聖典のようなものになった時、音楽ジャーナリズムの役割はそこで終わります。音楽ジャーナリズムの役割の一つは、音楽家自身も気がつかなかったことに言葉を与えて、音楽家自身が見落としていた文章や繋がりを発見することです。」
(宇野維正『1998年の宇多田ヒカル』新潮社、p.17)

『1998年の宇多田ヒカル』の序文にはこうある。
これを読んだとき、期待が高ぶった。私が10年間探し求めてきた椎名林檎の残像を、やっと掴めるのかもしれない。
書名に「宇多田ヒカル」とあるが、この本は同じ1998年にデビューし、今も第一線で活躍している宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみの4人に焦点を当て、彼女たちそれぞれの才能と役割、そして互いの関係性や影響を検証している。
1998年、それはプロデューサーの役割、CDの価値、音楽メディアの特権などという点で、音楽シーンにおけるターニングポイントだったという。そこに現れたエポック・メイキングな存在が宇多田ヒカルであり、申し合わせたように、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみも音楽シーンに飛び出した。

宇多田ヒカルよりも――というと乱暴だけれど――やはり私は椎名林檎を知りたい。
私が大学で学んできた方法論を挙げるなら、「比較文化」的に椎名林檎を解き明かしてくれる本を待ち望んでいた。
そんな本にやっと出会えた。
願わくば私が書きたいくらいだった、けど、いかんせん私には経験が少なすぎると痛感するのだった。1998年に小学生だった私には。

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椎名林檎のファンを10年やっている私にとって、気が合わないいくつかのタイプの人がいる。
まず、東京事変から林檎は変わってしまった、と嘆く人。
それから、サッカーワールドカップのタイアップ曲だった「NIPPON」を聴いて、林檎は右翼だのどうのこうのと言う人。
それと、林檎が他のアーティストに提供した曲は駄作だと言う人。
この3タイプがその筆頭だ。椎名林檎の話をしていて話題がそういう方向に行くと、そこで思考停止。つまらないのだ。

この本でも書かれているように、椎名林檎はデビュー当時からライブのたびにバンドを組んできた。「東京事変」も当初はそのひとつとして結成されたバンドで、のちに本格的にバンドとしてCDリリースなどの活動を始めることになる。
そんな東京事変での椎名林檎は、「自作自演屋」という役割から自分を解放しているかのようで、ときにはメンバーの作った曲の、ヴォーカリストに徹することもあった。それは、彼女自身の愛せる音楽を、より自由に追求しているようにみえた。
東京事変は2012年、華麗に幕を閉じる。毎度あり!と茶化しつつ、「聴きたくなったらいつでも傍にいてくれるのが僕らの音楽だよ」というやさしさを届けて。
しかし、ソロになった椎名林檎の2014年のツアーには、ちゃっかりしっかり、東京事変のギタリスト「浮雲」がいて、「ボンヴォヤージュへようこそ」と、まるで東京事変解散ツアーのオマージュのような演出が行われた。東京事変解散後の椎名林檎のライブでは、ソロ時代の曲も、東京事変の曲も(椎名林檎の作ではない曲までも)が、自由自在に披露されるようになった。
あんなに悲しかった解散を笑うように……いや、本当は悲しむべきものではなかったのだ。東京事変は、椎名林檎の長い音楽人生において、その時期の至高の形だったというだけのこと。

そんな椎名林檎が再びソロ活動に専念するようになったのはなぜか。
その目的を、この本は「貧しい日本への逆襲」と言う。
東京オリンピックを目前にして、日本の文化を世界に誇れるものとしなければならない。椎名林檎はそれを考え実現する立場を自負している。そして、同世代、同期、同窓のミュージシャンたちに共闘を呼びかけているのだ、と。そこにはもちろん、宇多田ヒカルもいる。
それが、椎名林檎にとっての「闘い」なのだ。
椎名林檎がたびたび強調する「日本の気高さ」は、彼女自身もそこから生まれた、日本の文化であり、音楽だ。純血思想や右翼思想ではないことなど明白だろう。
そのような見当違いの深読みをするリスナーが幅をきかせていることそれ自体もまた、彼女の憂う日本の「貧しさ」のひとつなのだと思う。

「自作自演屋さん」としての椎名林檎はまた、デビュー当時から広末涼子をはじめとするアイドルに楽曲を提供し、職業作曲家を夢見さえする「Jポップ職人」でもあった。
自分が歌う曲は自分で書かなければいけないのがロックなのか? 自分で書いて自分で歌う歌だけがいい歌なのか? 「自作自演屋」という自称自体がそんな問題提起をはらんでいて、「自作自演屋」である彼女が「自作他演」用として作る曲は、その問いへの答えとなっている。

椎名林檎を語る者は往々にして、彼女のエキセントリックさに偏りがちだ。
その歌詞、ヴィジュアル、演出などのイメージを表面的になぞって、「独自の世界観が魅力のシンガーソングライター」として(この本の著者も、音楽について「独自の」と「世界観」という言葉の空虚さを「最悪」と述べているが)片付けられてしまうことがあまりにも多い。
しかし、彼女のプライベートや人間性ばかりに注目するような作家論に頼らず、日本の音楽史に位置づけて椎名林檎論を展開するこの本を読むと、椎名林檎の「世界観」と呼ばれるものの正体についてもまた、ヒントがみえてくる気がする。
そのエキセントリックさこそ、「日本の貧しい音楽シーンへの逆襲」からくるものなのではないだろうか、と。
そしてそれは、恋愛や仕事や、女として生きることすべてに色濃く影を落とす、「日本の貧しさ」への逆襲なのではないだろうか。

 

 


◎ 大石  蘭
1990年 福岡生まれ。東京大学教養学部卒・ 同大学院修士過程修了
在学中より雑誌『Spoon.』でエッセイ、イラストを寄稿し注目を集める。
雑誌・WEBなどでの同世代女子の思想を表現するイラストレーション制作、文章執筆をしながら活動。  著書に『妄想娘、東大をめざす』(幻冬舎)
http://oishiran.com/

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