
ヒャクブンはイッケンにシカズ (8)
2016年8月3日 - ヒャクブンはイッケンにシカズ / 連載
テキスト・写真 鈴木一成
◎ Lee Friedlander
『CONTEMPORARY PHOTOGRAPHERS : TOWARD A SOCIAL LANDSCAPE』
前回の長い前置きを経て、今回僕が紹介したいのは *Lee Friedlander(リー・フリードランダー)です。
彼が最初に注目されたと言われる展覧会『TOWARD A SOCIAL LANDSCAPE』(’66, 企画 : Nathan Lyons)では平常な日常から私的なアプローチをする作家( Bruce Davidson, Lee Friedlander, Garry Winogrand, Danny,Lyon, Duane Michals ) が取り上げられ、もはや当たり前のように私たちを取り巻く環境すべてが写真の対象であり、それらは当然社会を映す鏡として日常に存在するということを露にし、眼の前に在る風景に向かって行くスタンス(それは極私的な光景かもしれない)それこそがまさに『社会的風景に向かって』いるのだと括ったのです。
実はこの “社会的風景” という考え方は上記のように Nathan Lyons(ネイサン・ライアンズ)によって世界に広められた考え方ですが、その発端はリー・フリードランダーにあったと云われています。 彼が “社会的風景” と呼んだのは、いわゆる風景写真ではなく他の多くの写真家達が撮る最良のポートレイトでした。
ネイサン・ライアンズは日常を “鏡” として向き合う写真家達が切り取る光景に “窓” としての “社会的風景” を見出したのです。
all works by Lee Friedlander
これらのリー・フリードランダーの写真には特徴としてリフレクションなどの効果が多く見てとれます。窓に映り込む自身の姿、道ゆく人に落ちる自身の影、鏡に反射する日常の光景、水面に映る空などなど。
身の回りにある景色の中から自身を映し出し、社会との関係性が緩やかに繋がって行く何気ない写真達。
日本人は私写真って言葉が好きだなと常々思うのですが、彼の写真は極私的なものを撮影していても、私写真的なものを超えてより社会と密接な関係性を生んでいるように感じます。
彼はデビュー以来撮影のスタンスはほぼ変わらず、日々撮影しては現像し撮った写真をすぐにプリントに起こす。とりとめも無く無数に散らばるイメージを眺めて纏めることで、おそらく彼自身が新しい発見していくのでしょう。
これは2010年に出版されたリー・フリードランダーの『AMERICA BY CAR』という写真集です。
all works by Lee Friedlander
このシリーズで、映っているイメージは全て車窓からの何気ない見慣れたアメリカの日常です。
しかし敢えて窓枠( “窓” )とサイドミラーやバックミラー( “鏡” )を画面の中に配置して撮られています。
更に良く観察してみるとミラーに映り込んだ風景も計算されていることがわかります。
1枚の画面の中にどのように情報を収めるのか?どのような状況で撮影しているのか?構図は?見えてくるカタチは?
このようにして写真を読み解いて行くと、とてもシンプルな写真への取り組み方から、前々回(vol.6) で述べた “視覚造形” への取り組み、そして “鏡” と “窓” の問題を軽々と飛び越えた表現に到達しているように思います。
リー・フリードランダーの写真を観ていると写真を通してものを見るという行為は、現実を解釈することではなく撮影者を通してそのパーソナルな解釈から世界を見ることなんだと気付かされます。
最後に『AMERICA BY CAR』で撮影された John Szarkowski (ジョン・シャーコフスキー)とリー・フリードランダーのセルフポートレイトを紹介しておきます。
このシリーズでシャーコフスキーを撮影してしまうあたりがリー・フリードランダーの凄さなんだろうな。感服。
◎ 鈴木 一成 /SUZUKI Kazushige
1972年 東京生まれ。桑沢デザイン研究所写真研究科卒。
3年間の渡仏生活を経てフォトグラファーをしながら個展やグループ展で作品を発表。
巡り巡って現代アートの Gallery OUT of PLACE TOKIO にてディレクター業、桑沢で非常勤講師。ゆっくり制作、たまに作品展示。
http://kazu72shige.tumblr.com/
プロフィール写真
©Jun MIYASHITA