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多和田 葉子 インタビュー「異世界へのつながり<ライター・イン・レジデンス>」

2017年1月25日 - TOPICS

【異世界へのつながりと発見 <ライター・イン・レジデンス>】
小説家 ・詩人 / 多和田葉子氏インタビュー

文/写真 : 檀原 照和

数々の文学賞受賞歴をもち、ドイツ語と日本語でそれぞれ20冊以上の著作を持つ小説家・詩人の多和田葉子さんへのインタビュー記事。
多和田さんは、2016年にドイツの文学賞クライスト賞を日本人で始めて受賞、さいたまトリエンナーレにも招聘され、インスタレーション作品の製作でも話題を呼びました。
今回は、フリーライター檀原氏のインタビューによる話です。

               *

近年、アートイベントが盛んだ。都会でも村落部でも、それこそ日本中がアートで埋め尽くされてしまった感がある。それに伴い、イベントに招聘されたアーチストたちが現地で滞在しながら作品制作を行う「アーチスト・イン・レジデンス」という制度の存在も、徐々に知れ渡ってきた。
日本のアーチスト・イン・レジデンスは「アートをつかったまちづくり」と呼応する形で広まってきた。そこで活躍するのは、いわゆるアートやパフォーマンスアートの作り手たちだ。
一方、欧州では参加アーチストのなかに小説家、詩人などいわゆる「物書き」とよばれる人たちの顔ぶれもある。日本では文学とアートは棲み分けされており、別の世界に属している。アートと文学が同居する空間は希だ。したがって「アートをつかったまちづくり」の場に、文学が関わる機会は非常に少ない。
ところが欧州では、日本に比べて文学とアートの垣根がずっと低いようだ。

文筆家が参加するレジデンスは、特に「ライター・イン・レジデンス」と呼ばれる(*英語で「writer」は小説家、詩人、戯曲作家など主にフィクションの書き手を指す。日本語の「ライター」は article writer)。こうした作家たちのレジデンス制度には、どんな意味や意義があるのだろうか?
多和田葉子さんに、敢えて作品の話ではなく、異境の地で創作を行う“レジデンス制度”について質問してみた。

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多和田 葉子(たわだ ようこ)

小説家・詩人。1960 年東京生まれ。ベルリン在住。 早稻田大学第一文学部ロシア文学科を卒業後、渡独。ドイツの書籍取次会社に勤務しながら、ハンブルク大学大学院修士課程を修了。
1987 年、ドイツで出版した2か国語詩集『Nur da wo du bist da ist nichts:あなたのいるところだけ何もない』でデビュー。芥川賞、泉鏡花文学賞、伊藤整文学賞、谷崎潤一郎賞ほか受賞多数。2016年、ドイツ屈指の文学賞クライスト賞を日本人として初めて授賞した。

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(写真下)さいたまトリエンナーレ(2016) に出品した多和田さんの作品の一部。会場にあるもの、会場から見えるものなどを作品の一部として利用した。

 


◆ 放浪しながら腕を磨くという文化

 

— レジデンスについてまったく知らない一般の方に説明すると、「それはなんの役に立つの?」「面白いの?」などあまり必要性が理解されていないようです。ドイツではどうでしょうか?

多和田 元々ドイツには、職人が各地を転々としながら腕を磨いていくという伝統がありました。一所に居着くのは農民だけ。一つの町に落ち着いちゃダメなんです。煙突掃除人だっていろんな町に行ったんですね。
それからミンネジンガー(Minnesinger)という吟遊詩人みたいな文化もありましたから、文学者であっても職人であっても同じ町にずっといることはありませんでした。これは中世の話ですが現代また別の意味で移動する人が増えてますね。
ドイツの作家も色々な町を転々としている人が多いし、現在の作家であっても「何ヶ月かどこかに行ってみない?」と誘われたら、「行きます」と答える人が多いですね。
日本の場合を考えてみると、かつて殆どの人が農民だったし、職人であっても移動の自由がなかった。江戸時代は藩の外に行けるのはお伊勢参りのときくらい。そういう時代が長かったので、移動はいけないみたいな雰囲気がある。もし東京の人に「北海道に三ヶ月行ってみたら?」と言ったって「え? それ何のために行くの?」とまず訊かれるし、受け入れる住民側にも「その人、私たちの県をもりたててくれるの?」と訊く人がいるのは、歴史のせいだと思います。

— ドイツには職人が放浪しながら腕を磨いていくビルドゥングスロマン的な伝統があるので、作家が各地を転々とするレジデンス制度に懐疑的な声が上がることはないということですね。

多和田 色々な土地に行って人格が出来ていく。だからわざわざ働くのね。
日本で言えば、松尾芭蕉のような人は特別ですね。江戸という誰もが住みたいと思う所に住んでいたにも関わらず、「白川の関を越えないとダメなんだ」と考えて、東北に向かう。すばらしいですね。江戸に住んでいた作家が敢えて地方へ行くということは、それまでなかったかもしれません。京都や大阪に住んでいた人たちも、そのままそこで書きたかったでしょうし。地方の人が自分の土地を離れて東京にちょっと来る、ということならあったかも知れませんが。歴史的に日本だと難しい部分があったんでしょうね。

— ヨーロッパではレジデンスの枠に囚われずアート好きなパトロンがアーチストを居候させることがあり、レジデンスの現場では「どこの誰を訪ねれば居場所を提供してくれるのか」という口コミ情報が伝わっていると聞きました。

多和田 ハンブルグに住んでいたときのことですが、文学センターの館長の女性がハンガリーの作家を泊めてあげていたことがありました。パトロンと言うと金持ちのようですが、普通の家に普通に泊めてあげていました。そして異性であっても泊めてあげて、別に面倒なことにならない。そういうところがいいなと思いました。これは広い意味で「客を温かくもてなす心 (ガストフロイントリヒカイト; Gastfreundlichkeit )」なんでしょう。ドイツ人のいいところです。

難民を受け入れるのも同じ考え方で、「逃げてきた人は必ず泊めなければいけない」というような気持がなかにある。そのもうちょっと緩い、「逃げてきた訳じゃないけど、ここにいたいと言うんだから家に泊まれば」みたいなことは、このもてなしの心の延長かなとも思います。
アーチストは逃げてくる訳じゃないけど、遠方の人が滞在して文化が混ざるのは基本的にいいことだ、という歴史的記憶みたいなのがあるのかな。

アーチストや作家を当たり前のように受け入れる姿勢はドイツのみならず、他所の国でも見られる光景だという。ときにはまったく言葉が通じない外国の作家や詩人をホームステイさせてあげることさえあるそうだ。

多和田 でも日本の小説家は「行きたくない」という人が多いですよ。国際交流基金の人が言っていたんですけど、カナダなどの国際文学祭の主催側が「日本からももっと作家に来て欲しい」と言っているにも関わらず、招待されても断わる人が多いという話も聞きました。
個人差はあるのかもしれないが、日本の作家は異世界との積極的な交流を避ける傾向があるようだ。
名古屋市立大学教授の土屋勝彦さんという人がいます。彼はオーストリア文学専門のドイツ語文学研究者で、これまでたくさんのオーストリア人を名古屋に呼んで長期滞在してもらっているんです。名古屋ですよ。京都みたいにおもしろいものを見学できる街ではなくて、一見私たちにとって日本の日常みたいな名古屋の街をみんな毎日散歩して、それぞれ独自の目で物干し竿とかお地蔵さんとか飲物の自動販売機とかを観察する。彼らはみんな名古屋への思い入れがあって、ウイーンに行くと名古屋の話で盛り上がります。
そもそも大学を通して呼んでいるということもありますが、直接住民の役に立つのかどうかということは問題にしていないという感じでした。ドイツ語学科がある限り、ドイツの作家が来ること自体に意味がありますから、大学主宰のレジデンスは説明しやすいかもしれません。

逆に住民の役には立っていないのかもしれませんが、こんなことがありました。

ある女の子が「名古屋でおばさんたちが参加するブドウ狩りのバスツアーに参加した」って言うんです。日本語は全然分からないけど、みんなが色々教えてくれて「こんな楽しいことはなかった」と。
そういう変なところに突然変な人が現れて会話するだけでも、日本という滅多に外国人がいないところでは、素晴らしいことかも知れません。外国人排斥のネオナチ青年などには実際に外国人に触れたことのない人が多いそうですから。

過去に遡れば、ラフカディオ・ハーンが日本に来たことによって、英文学が得たものは少なくありませんでした。日本に来てくれる人は当時ほとんどいなかったのですから、日本側から見てももちろんハーンが来てくれたのは嬉しいですよね。でもただ来ただけでなく、文学と言うかたちでそれが残ったことが大切だとわたしは思います。

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◆ 芸術家として待っているイメージ

多和田さんは現在まで、およそ10 箇所でレジデンスの経験があると言う

多和田 私のなかでは、レジデンスは1ヶ月よりももうちょっと長い間まさに名古屋みたいな場所にいて、せかせかするのではなく、普段の自分の忙しい執筆活動から解放されて、毎日なんとなく何が来るか待ってるみたいなイメージなんですよ。目的を決めた取材旅行とは、また違う感じじゃないかな。
例えばドイツのシュライハンのような田舎は、何にもない所ですよ。滞在した人の話では、自転車で1 時間かけてスーパーに行って野菜を買って自炊していたけど、本当に不便でそれがなぜかよかったそうです。そういう所で面白かったのは、なにかを見るんじゃなくて自分の内部の活動だけで創作するっていうのかな。その場所について書くんじゃなくて……そういうのもあります。

— 逆に『尼僧とキューピッドの弓』(2010 年)を書いたときのように、修道院という戒律に縛られた施設に1 ヶ月間レジデンスして書くというスタイルは、どうでしたか?

多和田 結構キツかったですよ。すごい緊張感のなかで過ごした1 ヶ月でした。自由がないし、いつもあの人たちと喋っていると距離が近づいていって、苦しいんです。思わぬ事で相手にショックを与えたり、してはいけないことをしてしまったり。(笑)でも自分を追い詰めることで書けたので、最終的には日常的な自分を突き放して笑って、やって良かったと思いました。私、そういう場所が結構好きなんですよ。

— 日本ではまちおこしや地域振興の一環として行われるのが一般的なレジデンスですが、欧州ではどうなっているのでしょうか? 日本同様、ご当地を舞台にした作品を書くことが期待されているのでしょうか?

多和田 Non-Profit(非営利)というか利益のためにやるんじゃなくて、「(面倒な制約抜きで)ただ来て下さい」というのが主宰する側の基本的な態度です。でも地方に行くと、町によっては「うちの町が出てくる小説を書いてくれたら嬉しいな」みたいなことをちょっとだけ匂わすという所もあるにはあります。ただ小説家を芸術家として招待するわけですから、「何をしても良い」ということは前提ですよね。バーゼルのような都会では、全然(書いてくれという要請は)なかったですね。

— 地方によっては、そういう事例もあるんですね?

多和田 ありますよ。義務ではないですが、「でも出てこないですか……?」みたいなことはあるそうですよ。しかし強制しなくても「そこにいるとやっぱり書きたくなる」ということがあって、結果的には出てくるケースが多いようです。

 

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多和田さんがレジデンスしたのは、切手になるほど由緒あるヴァルスローデ修道院その歴史は10世紀まで遡る。( 切手は西ドイツで1986 年に発行)。

 

— レジデンスでご当地小説が書かれた場合、根付くものですか?

多和田 修道院で書いたものはドイツ語で、それを元にして日本語で書いたんですけど、当の修道院では喜んだ人と怒った人に反応が割れて、ちょっとした騒動になったらしいんですね。「うわあ素晴らしい」と言って感激した尼さんが「是非朗読会に来て、その本から朗読して欲しい」と言う連絡があったのに、なぜがその話がなくなって、反対した尼さんがいたそうです。(笑)
文学者としては、変わった人や意地悪な人の方を詳しく描写したいじゃないですか。いい人や普通の人というのは最良の部分が隠れているだけで面白くないですよ。でも書かれた本人は不快感を持つこともあるので、難しいですよね。
ドイツで私と同じ出版社から本を出している作家がカナリア諸島のパルマ島に住んでいて、その島の話を書いたんですよ。フィクションなんですけど、「自分がモデルだ」と考えた人がたくさんいて、その作家の家に火が付けられてしまった。根付くどころじゃないですよね。それがテレビでニュースになって、結局その本が非常によく売れて炎上小説になった(笑)
ライター・イン・レジデンスで、「土地のこと、人のことを書く前提で」というのは、おかしいですよね。作家の側が書きたければ書いても良いですが、「とにかく来て欲しい。なにが起きるか分からないけど来て欲しい」というような心の広さと余裕が受け入れ側にないと。それで来て貰ってどうなるかな、というのが良いんじゃないでしょうか。

村上春樹の短編「ドライブ・マイ・カー」が北海道のある町から猛抗議を受けた事件は多くの人が知るところだが、同じような事件がレジデンスの先進地域でも起こりうるようだ。

多和田 レジデンス事業を経済的な尺度だけで考えると、つづけられないんですよ。スイスにシュピーツ (*スイス中央部ベルン州の町)という保守的な小さな町があるんですけど、そこには税金で賄われていたライター・イン・レジデンスがあったんですね。ところが「これは無駄ではないか」という人がいて、直接選挙をしたんですね。そうしたら「無駄だ」という人が多くて、結局レジデンスはなくなってしまいました。

その一方、小さな町でありながらレジデンス制度をつづけ、作家が来てくれるのを楽しみにしている例もある。
日本国内で言えば、城崎温泉の旅館の若旦那たちが仕掛ける「本と温泉」プロジェクトなどがこれに該当するだろう。「現地に行かないとレジデンスの成果物が買えない」というスタイルに多和田さんは、大いに感心していた。

一般にアジアでのレジデンス事業の多くは、アーチストが作品を制作・発表することに期待していると言われます。

一方、*ACC (アジアン・カルチュラル・カウンシル)  プログラム・オフィサーのサンドラ・リウ氏によると、米国のレジデンスでは、アーチストが作業するための時間と空間を提供すると共に、他のアーチストなど「同じような領域で活躍する人々と知り合い、刺激し合うような出会い」を与えることを趣旨としているところが多いそうです。
アーチストが参加費を負担することはなく、かつ有能なアーチストが招聘されるので一種のフェローシップ(研究奨学金、あるいはネットワーク)として機能しているとのこと。それゆえ、米国のレジデンスには「シンクタンク」のような性格があるといいます。
(典拠:株式会社ニッセイ基礎研究所「諸外国のアーティスト・イン・レジデンスについての調査研究事業報告書」 P386 平成24 年度文化庁委託事業)

 

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◆ 言語的刺激と発見

多和田さんには「日本語とドイツ語の間に立つ人」というイメージがあるが、レジデンスでフランス語圏や英語圏に出向くと、言語的な刺激や発見が大きいという。

多和田 日本語という言語も外国語と出会わなかったら、いまの形になっていなかったでしょう。現代日本語のなかには、ヨーロッパ的要素が入っていると思うんですよね。現代語って、江戸時代の日本語とは全然違うじゃないですか。明治の人たちの言葉は、英語やドイツ語やオランダ語を読んで苦労して訳す過程流を通して変化してきた。夏目漱石とか森鴎外の日本語も勿論そうだし、(日本的な美や官能を耽美的に描いた)谷崎潤一郎でさえ、フランス語の小説などを読んだ上で書いている。先人たちが自分たちなりにヨーロッパ語と対決した上でつくった日本語というのが、現代日本語というものになっているんじゃないかな。
そういうものを読まなくなった今の人には、インターネットなどから別の形で情報が入ってくる。でも生身の人間と出会うことは、情報だけの外国とは違います。やはりライター・イン・レジデンスは大切だと思いますね。

ドイツ語の世界で生活するようになってから、ドイツ人が造形理論的な思考パターンの上にドイツ語を乗せて喋っているということを見い出し、影響を受けたと言う。
日本にいたときは日本語しか話しておらず、流れで発話しながら考えていたが、現在はものを考える時点で「言葉の物質化」という作業を経て、積み木のように造形的に言葉を組み立て、それをドイツ語にしているという感覚があるそうだ。

滞在しながら書くということは、単なる滞在とは別のものだ。旅行記を書くのともちがう。大きな楽しみが待っている反面、ある種の苦行なのかもしれない。
ドイツ語と日本語のみならず、多和田さんにとって言語的な刺激はひじょうに重要だそうだ。ドイツ国外でのレジデンスを積み重ねることで、得るものは少なくないのだろう。

(2016.9 .15 – Interview )

 

 

Text & Photo :檀原 照和
プロフィール
ノンフィクション作家。東京生まれ、横浜在住。法政大学法学部政治学科卒業。「土地にまつわる習俗」や近現代史をテーマに執筆する。ニューヨークやキューバでヴードゥーの儀式に参加して踊ったり、東京で秘密結社フリーメイソンのパーティーに参加したり、横須賀で海中軍事遺跡「第三海堡」引き上げ工事に参加したりしながら、2冊の著作を書き上げる。Twitter @yanvalou


構成 :アパートメント編集部

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